鬱で寝込んで見えた景色
私は看護師。
あと数年頑張れば、看護師歴30年のかっこよく言えばベテランナース(笑)。
若い頃から何だか腎臓が弱く、よく腎盂炎になったし不明熱も度々。
息子が2歳くらいの時には腎盂に腫瘍があると言われ精密検査もした。
結果は特に問題ないものだった。
子宮外妊娠を3回(逆奇跡女(笑))。
おまけで癒着による小腸切除。
C型肝炎(治療で治癒)。
脳動脈瘤(経過観察中)。
誰かの笑顔の為に生きるのが大好きなくせにストレスに弱い喜怒哀楽女。
それでも今日まで周囲を巻き込みながら、コソコソもりもりと生きてきた。
そんな私がいよいよメンタルダウン。
ちなみに現在の私は、精神科の訪問看護師。
いつも寄り添っているつもりの利用者さんが、寄り添ってくれる嬉し恥ずかし不甲斐なしな幸せ。
自分がこれまで体験してきた、痛みや悲しみや、回復後の感謝は上記の通り。
今回、一睡もしない夜を越え、隔日で気絶して眠る日々をかれこれ2ヶ月以上繰り返した。
そして起き上がれなくなった。
情けなくて涙を流し、もう無理だと仕事を休み、完全に横たわりながら、処方してもらった睡眠薬で強制シャットダウン。
ああ、鬱って横になっていても休息できないんだ。もう決まり文句みたいに鬱の利用者さんに「休息していいんだよ」って繰り返してきたのにね。
そして気がついた。
今回のこの鬱は私が本当に誰かに寄り添う事ができる人間になるためにまだまだ足りなかった部分を気付く為の贈り物だと。
それプラス休息(笑)。
結婚に向かなかった私は、上手く嫁と妻が出来なかった。
仕事の責任は、大丈夫と言い聞かせながら出来てなくても日々動き続けた。
大好きな姉の病気も別れも、大切な息子の不登校も自己流我流の愛で乗り切った。
…はずだったのに、母の介護で実家に戻った瞬間、全てが一気に鉛の塊みたいにのしかかり、気合い云々よりも先に身体が先に停止した。
心を病むって、こんなにもどうしようも無いものなんだと思い知った。
そして…
痛い、苦しい、大切な存在を失う、自分の責任で頑張る、誰かを理解する…
色んな体験の総仕上げで、誰かに許され愛される事を全身で受け入れ感謝するという感情をもらった。
本当に。
何にも出来ない。
見栄もはれない。
取り繕えない。
申し訳ない。
そんな日々。
べろんと横たわり、薬を飲み、夜中にちょびっと活動する。
床のホコリの上を無邪気に遊ぶ子猫と、その世話をする息子。
心做しか緊張感漂う母。
姉の事があるからね、娘の不調は不安だと思う。
そんな景色をただただ眺めてる。
そして家族、同僚、私を取り巻く人々の暖かさや愛や優しさを燦々と浴び、ドーム状に包まれ療養中。
訪問看護師は車で移動するから、なかなか眠気が来そうな薬は自己判断で飲めなかったのだけど、今回は少しお休みいただいてしっかり飲んだからか、ちょっと動ける時間もできて喜んでいる次第。
私は自分が体験した苦しみや悲しみの数だけ、きっと誰かを理解出来る自分になれるんだといつも思う。
だとしたら、この体験はきっと誰かの力になるんだと思う。今回の脱皮後の自分に期待。
前向きになれない今の自分は、きっと頑張る未来の自分に期待して丸投げして横たわる(笑)。
いつもの10倍の時間をかけて書くブログ。
これも記念だと思って書いてみた。
私の絶賛体験中の病気のお話し。
うん。きっと大丈夫!