命日
7月14日。
2年前の今日、従姉妹が交通事故で
昨年の今日、姉が大腸癌で一足先に空に里帰りしました。
そしてその約2ヶ月後に、母の左乳房がなくなり、何だか失うものばかりだなと呆然としたのも束の間、母親に認知症という病が追加されることになるわけです。
認知症。
失うのに増える病。
長年培ってきたスキルや記憶を失い、生活の中に他者のお世話が追加される。
このシステムを世間では介護と呼ぶのです。
訳あってシングルマザーをやっている私は、息子と暮らしながら仕事にあけくれる日々でした。朝とか夜とか休日とかの概念がないくらいの数年間。
そんな私、たくさん見落としてきたあれこれがあったことでしょう。
姉を看取りたいという気持ちで、24時間365日体制の訪問看護ステーションの管理者から、精神科の訪問看護ステーションの管理者へ転職しました。
姉の家族と一緒に、姉を看取ることが出来た後、次は母の介護の為、息子と暮らした住み慣れた家から、母の住む実家に引越し新生活スタート。
と同時に管理者を降ろさせてもらい、生活のウエイトを家族へ移動。
さあこれからという時に、今までのあれこれがどっと押し寄せ…体調崩す私(笑)
あーこれはきっと、お先に里帰りした姉と従姉妹が「少しは休まんねー」と言ってくれているんだと、自分を許す暗示をかけ続ける私(笑)
必要最低限の事を振り絞ってやる以外は、横たわっております。
そして覇気のない、何も出来ない自分の脳内に、大好きな怒髪天の「ドンマイビート」を自動再生エンドレスリピートしております。
人の人生というものは、得ると同時に何かを失い、失うと同時に何かを背負うものです。
でも、それは非常にバランスの取れたものなのではないかと思います。
失い背負う事を儚むことなく犠牲と捉えず、得て尚、許されている自分を見失わなければ。
3歳上の姉とはとても仲良しでした。
3歳下の弟が私を助けてくれます。
今年16歳になった息子は私を支えてくれる存在です。
私の事を本当に理解してくれている友や大切な人がいます。
まだ生後数ヶ月のにゃんず(先月お迎えした兄妹猫2匹(笑))は私の体調に応じて、何故かずっと寄り添ってくれます。
今日7月14日。
2人の大切な人の命日。
生かされている事、愛されている事、横たわっていても私が今日も生きている事への感謝。
噛み締めて感謝して、きっと愛する人達を幸せにしようと心に決め振り返る日。
そんな今日のこの時間を幸せと呼ぼうか。
というお話し。
うん。大丈夫。