【ゲームと息子と私のお話し】
これは私の専用ゲーム機「Switch Light」。
RPG(ロールプレイングゲーム)や謎解きなんかのコツコツ系しか出来ないながらも、ずっとゲームが大好き。
独身の頃は、仕事と食事とトイレ以外の全ての時間をゲームに捧げていた時期もあるという歴史あり。
現在17歳の息子は、中学生の頃、学校に行くことが難しい時期が長くあった。
その間、ずっとゲームの世界に没頭していた。
一般的に見ると「ゲームに夢中で学校に行けない」ように見えていたと思う。
それでも1番近くで息子を見ていた私は、原因がゲームではないと当たり前のように思っていた。
息子がまだ字も読めない頃から、私のゲームを親子3人で一緒にやっていた。
ゲームボーイの「トマトアドベンチャー」という可愛いゲーム。
〘 『トマトアドベンチャー』は、2002年1月25日にゲームボーイアドバンス用ソフトとして発売されたゲームソフト。ジャンルはロールプレイングゲームで、発売元は任天堂。〙
正確に言うと私の苦手だった部分を、小さな息子と当時の夫が手伝ってくれていた形(笑)。
「凄いねーありがとう!」と褒めると、僕に任せてみたいな顔で得意気に笑っていた。
そのうち彼は、ゲームの字を自分で読むために独学で(笑)平仮名を読めるようになった経歴を持つ。
不登校期間も母子の会話は途絶えたことは無かった。
仕事から帰ると、私は基本居間で過ごす。
その頃の仕事は深夜早朝の区別がないようなものだったので、私が不定期に帰宅すると息子が部屋から出てきては、その日のゲームの話しをする。
親子の会話はゲームで成り立っていた。
息子が高校生になった頃「ねーねー。あの時ゲームがなかったらどうしてた?」と聞いてみた事がある。
すると息子は「真っ暗なトンネルの中、ゲームの世界が自分の居場所だった。本当にゲームがなかったら無理だった。」と言った。
自分の部屋で、その間も友達と交流を持ち続け、今でもその仲間とは楽しそうに通話しながらゲームを続けている。
全日制、定時制、通信制ですれ違いの時間をやりくりして「明日休みだから」とか「明日は学校(もしくはアルバイト)だから何時まで入るわー」みたいな感じで。
ある日、息子が真っ暗なトンネルの中での居場所として生きてたバーチャル世界に興味がわいて「ドラクエX」を買ってみた。
まあこう書くと、出来た母親みたいに聞こえるけれど私は生粋のドラクエ好き(笑)
言い訳である(笑)
〘 『ドラゴンクエストX オンライン』は、スクウェア・エニックスが発売・運営しているMMORPG。〙
もう世界が膨大。
そしてオンラインだから他のプレイヤーがわんさか居る。
方向音痴で地図読めない私は、盛大に迷い、いつも息子が合流してくれて目的地まで道案内してもらいながら、ついでに一撃で敵倒してもらうみたいなご厄介ぶり(笑)
コツコツと職人極めて、売買して、結託して上を目指す。
そこにはコミニュケーションもあり。
助け合いもあり。
こりゃ居場所だなと納得。
ちなみに、1人では荒野に佇むばかりの私は助けて貰ってばかりで成長せず、早々に断念した(笑)
いや、粘り強くやってきたんだなと(笑)
あたしゃ無理ぞと(笑)
ゲームにかける辛抱強さと、諦めない心と集中力が、未来の生きる力になったらいいねと母は思っている。
人生の道も敷いてあげなかった。
暗いトンネルにLEDライトをもって入り込み、手を引いて助け出してあげることもしなかった。
母親失格と言われても仕方がない。
でも息子は自分で決めてきた。
学校に行かないことも、トンネルの中を歩き続けた事も、高校進学も。
自分の選択と決定は、誰かのせいにしなくていい人生。
私は母として困った時に相談出来る一番身近な大人でありたいと思う。
完璧な大人ではない母親だから、世間の言う完璧な子供になれなかった息子の気持ちがよく分かる。
人間やる気になった時がその時であることも経験済み(笑)
完璧でなくてもいい。
幸せで楽しい人生を選択して欲しいと母は願う。
結論。
ゲーム好きは遺伝するのか?
環境因子は影響するみたいだ。
でも2人でゲームのアバターで並んで、バーチャル世界(あつ森でも息子にお世話になっていたり(笑))で共に行くのもなかなか良き。
我らにはゲームの世界は必要である!(笑)
良い母親よりも良き理解者でありたいぞ(笑)
今日も空が青いなぁ。
大丈夫。
親子でとても元気です。