【ゲームの話し。あの頃のあれほどの集中力が今の私にあったなら何かしら成功してしまうかもしれないとドキドキする。】
今週のお題「ゲームの思い出」
得意ではないけれどかなりゲームが好きな私。
独身で独り暮らし時代、それはもう廃人寸前になるくらいまでゲームをしていたような記憶があるようなないような(笑)
もう座っていすぎて床ずれが出来るくらいで、全く独りで黙々と反省を繰り返していた。
その暗黒時代を支えたのがPlayStation。
俺の屍を越えてゆけ
『俺の屍を越えてゆけ』(おれのしかばねをこえてゆけ)は、1999年にソニー・コンピュータエンタテインメントより発売されたPlayStation用ロールプレイングゲーム。
このゲームはまず前述の源太とお輪の子(初代当主)に名前を付け、天の声の言うままに最下層の神様と子供をつくることから始まる。
その後は任意の迷宮に行き、敵を倒すことで奉納点を手に入れ、より強い神様と契ることで子をつくり、いつかは父の仇である朱点童子を倒し、一族にかけられた呪いを解こうというもの。累々と代を重ねてゆく事で強くなっていくシステムから、ゲームアナリスト平林久和などは競走馬育成シミュレーションゲーム『ダービースタリオン』シリーズとの類似性を指摘している。
これはハマった。
どんどん家系図みたいなものが出来てきて、やめられなかった。
残念ながらゲームの詳細はあまり覚えていないけれど、まだ見ぬ未来の我が子の名付けシミュレーションゲームだった。
MYST
『MYST』(ミスト)は、アメリカのパソコン用ソフトメーカー「Cyan」が作ったパズルアドベンチャーゲーム。
主人公(プレイヤー)は表紙に"MYST"と書かれた本を見つける。本の最初のページには島の地図の絵があり、突如として動きはじめる。絵の視点は島を一周し、桟橋が見えるあたりで停止し、主人公は本の中の世界、MYST島に入り込んでしまう。ここが何処なのか、これから何をすればよいのか、主人公は島の探索を始める。
Wikipediaより
これはもう物凄く難しい。小さな小さなヒントを手懸かりに謎解きをしながらジリジリと進む。
プレイ中は完全に本の中のMYST島に行ってしまっているので、現実世界の時の流れが止まってしまって、お尻の血流も止まってしまう。
没頭と集中とスリップ感がもう本当に危険なレベル。
DSやらに移植されているからもう一度やってみたいけれど…きっと全てを失ってしまうと思うから手は出さないに越したことはないなと思う。
MYSTの魅力に取りつかれた愚かな自分よもう一度という願望と、現実的に今の生活では出来ないぞという葛藤と気持ちの鬩ぎ合い(笑)
大人になったのになかなかゲームの魅力と魔力に勝てない。
息子と猫が島で畑を作ったりお店で品物売ったり魚釣ったりするゲームをお互いのスマホでダウンロードして経過を話して楽しんだりしている。
間違っているのかもしれないけれど、楽しくて共通の趣味だから大人で母親だけど、一緒に楽しんでもいいのかな。
ゲームはね息抜き程度でやるのが一番いいと頭では知っている。
でも依存性も秘めていることを体と心が知っている(笑)
私のゲームの思い出は、今なおフラッシュバックしてしまう細々とした現在進行形で引きずり気味の思い出なんだな(笑)
ゲームはバランスを考えてやるといいよ!とダメな大人の私が言ってみても…いいよね(笑)【大丈夫】|ૂ•ᴗ•⸝⸝)”