【犠牲をはらう相手があるのはうれしいことだ。 】
ルーシー・モード・モンゴメリの言葉。赤毛のアンの作者。
赤毛のアンはとてもいいお話しで大好き。今読み返すとアンを引き取って育てた兄弟の気持ちが分かるような気がする。
さてさて犠牲とは。
ある目的のために損失となることをいとわず、大切なものをささげること。
モンゴメリは大切なものをささげる相手がいる事が嬉しい事だと言っている。
うん。確かにそうかも。
犠牲という言葉は一見「損をするけれども」みたいな印象がつきまといがち。
でも大切な誰かのために何かを差し出す事が出来るって実は人として幸せなことなのではないかと。
えーっと。このブログをよく読んでいただいている方はお気づきかと思いますが私は何しろジブリが好き(笑)
なので今回赤毛のアンスタートにもかかわらずジブリに突入する反復横飛び感をお許し願いたい(笑)
…となりのトトロで(本日のジブリはトトロですー(笑))カンタという少年が傘がなくて雨宿りしているさつきと妹のメイにぶっきらぼうに自分のボロボロの傘を渡し、自分は濡れながら走って帰る。帰宅後母親に傘をどうしたのかと叱られるが自分で傘を貸したとは言わず「なくした」とだけ言う場面があって。
これはカンタかっこいいぞと。お前さんは粋な男だなと。
その足でカンタの家に行き「お母さん!お宅のカンタ君はとてもいい子に育っていますよ!!」と両手で握手しながら伝えたくなったっけ(笑)
この場面でのある目的が「さつきとメイが雨に濡れない事」で損失となることが「自分が雨に濡れその上母親に叱られる」なわけ。
大切なものは傘なんだけど実は「自分は濡れても叱られてもいいけれどさつきとメイが濡れずに帰れたらいいな」という気持ち。
《自己満足でもいい。相手を守りたい気持ちが叶う事。それが私の考える犠牲》
犠牲をはらえるかな…【大丈夫】。
モンゴメリが言うようにそんな相手が現れれば知らず知らずに動くもの。
そんな相手がいる事が幸せなのかも。
川端康成も「自分を犠牲にした者は、自分を犠牲にしたことを忘れるのが、美しい犠牲の完成なのだ。」と言っている。
自分の子供や恋人が寒くないためならば自分の上着をかける。
自分は寒くてもその時は満たされている。だって大切な存在が寒くなくなったんだから。
実は犠牲って優しい言葉なのかも。
守るために自分にできる事。そして行動して満たされる事。そんな事を想像できる相手が思い浮かぶのならば…【大丈夫】(*´˘`*)