【「類は友を呼ぶ」は良い意味なのか悪い意味なのか?】
「類は友を呼ぶ」とは。
気の合った者や似通った者は自然に寄り集まるということ。
この言葉、調子がいい時はとても幸せで満たされている言葉に聞こえる。ああいい仲間に出会えてよかったなと。
そんな感謝の気持ちがあればやっぱり自然にそんな仲間が集まってくる。
逆にどうして自分はこうもついていないのか。きっと自分を取り巻く環境がいけないのだと自分以外の何かが原因に違いないと思い込む。
そうすると自然に不満をもったような人達が集まってくる。不満は増えるばかり。
難しい理屈は分からないけれどやっぱり他人の事を攻撃してしまうような言葉が行き交うグループには何だかちょっと近寄りがたい雰囲気があって。
そこに近寄り馴染んでしまうということは…そんな類の方々の友として溶け込んでいるという事。
《気の合う仲間の「気の合う」部分がその仲間の類》
だって笑えるような毎日ではない…【大丈夫】。
笑えるような毎日ではない部分に集中しているから笑えないのかも。
意外と怒りや憎しみを原動力にしているとその感情が石炭となり蒸気機関車なみにシュッシューーーと動くことが出来る。
でもさ…石炭は燃料として使う過程で労力高くて、その上ちょっと…周囲も汚してしまう。
きっとね、愚痴とか不満を言うことが好きなんじゃなくてそこに集中してしまう考え癖なんじゃないかと思ってみたり。
ならばまずは小さなことでもいいから、自分が幸せだなとかこれはツイているなと思える部分に注目する練習をしていくと…そのうち慣れていたりして。
相手がニッコリするとつられてニッコリするもんで。相手が睨んでくるとこっちも「あ?」ってなるでしょ?(笑)
そんなに簡単なことではないかもしれないけれど少しずつ変わることは可能だと思う。
そうするとケラケラっと笑っている仲間の中にいつの間にかいた!!となる(笑)
どうせ数えるのならば不幸や不満より、小さくてもツイていた事や幸せなことを数えたほうが気持ちいい。
自分が笑うと笑うことが好きな人が寄ってきてくれるみたいだよ。
あなたの隣の大切な人は今笑っていますか?
自分が友を呼ぶのが難しいのならば、楽しそうな人達に注目して呼ばれちゃってもいいんだよ。
ふんわりいけたらいいね。
うん…【大丈夫】(°´˘`°)