【見えているのに見ていない】
バリオスⅡという250ccのネイキッドバイクに乗っていた頃はバイクを動かす時はだいたいツーリング。
その頃の車とバイクの割合は9:1。ほぼ日常使いはしない感じ。
その後は結婚し子育てをしていたので100%車生活。
そして去年スクーターに乗ることになってなんやかんやで女カブ主になった(笑)
そして現在、車とバイクの割合は2:8。
ずっと車で生活をしていて後半は主婦として暮らしてきた。
買い物なんて日常の当たり前の事。
流れるように颯爽とスーパーやショッピングセンターの駐車場に車を停めてお買い物(笑)
なのに!それなのに!
バイクで日常を送るようになって、まず駐輪場がパッと分からない。
探すといつも車を停めているところから見える位置にあることがほとんど。
どこにでもある駐輪場がすぐに思い浮かばない。
どれだけ見えているのに見ていないのかということ。
注意を向けていなければ視野に入っていても、認識していない。
目的がきちんとしていなければ見えていても見ていないから見過ごしている事が本当に多い。
最近では「ながら○○」が増えてきて見えてさえいないくらい。
周りの風景や景色を遮るように視覚も聴覚も塞いでしまう。
どこをどうやって歩いてきたのかも定かではないなんて、本当に最近の話だと思う。
都会の駅では現代風の二宮金次郎で溢れかえっている。
スマホを見るわけではなくちゃんと前を見ていても、そこが目的までの通過点でしかなければ記憶に残らない。
時には移動中、気を散らしてしまう音も視覚を遮るアイテムも何もかもを鞄に入れてスイッチオフにして歩いてみる。
そう、出来れば歩く。
50メートル距離でさえたくさんの発見があって驚いてしまう。
こんなところにこんなお店があるんだ。
あれ?ここにこんな像あった?
え?いきなり記念館?いつの間に?
このショッピングセンターのテナント変わってたんだ。
ここの道、抜けられそうだな。
だんだん好奇心が膨らんで、子供みたいにウキウキする。
そうだ、寄り道ってこんな気持ちからやっちゃってたんだよね。
手のひらサイズのあれこれが出来て歩いている時間さえ作業に当てられるような時代になった。便利だけれど見逃してしまっている事もそれだけ増えたような気がする。
見えているのに見ていない。
見える事を遮って見ないようになった。
我が子の今日の宝物みたいな一瞬をせめて視野に入れておいてほしい。
通る道のその花は今日までの美しさかもしれない。
バイクはどこに停めるのかなーと探す自分が教えてくれたこと。
ちゃんと見て聞いて関連づけて匂いもキャッチ。五感をそっちのけにしてしまうと思い出も稀釈されてしまうから…勿体無い。
夏の向日葵と空の青と雲の白。
スコールの匂い。
アウトドア売り場と極彩色のマリングッズ。
これを意識から外してしまうとただの猛暑に耐えただけが今年の夏の思い出になっちゃうよー。
スマホを持たなきゃ不安なら撮影しよう。
スマホの画面には今の目の前の物を映してさ。
中の情報に思い出を吸いとられないように。夏は思ったよりも短いよ。【大丈夫】(*´꒳`*)