【母のカレンダー】
目指せ!食品ロスゼロ家庭!(笑)
食材を使い切った時の空っぽの冷蔵庫を眺めた時の達成感に幸せを感じる日々。
「何も無い」ではなく「使い切ってやったぜ( •ω-)✧」と言う転換思考。
良き良き(笑)
今日は母のカレンダーのお話し。
母は元気な時からずっと同じカレンダーを毎年買い続けていた。
大きな大きな1日分の記入欄に、たくさんの予定やあった事が書き込んで残されている。
日記みたいに。
何年分も何冊も残っている。
数年前からは、頼りない字で。
そして年々空白が目立つようになった。
それからは私や父や介護支援の方々が、母へ分かるように記入するようになって。
最近ではもう、そのカレンダーを見る事も減ってしまった。
先日「今年もこのカレンダー買う?」と母に確認した。
すると当然のように「うん。買うよ。」と。
使えなくなったガラケーを解約しようかと相談した時も「いや、まだ要るよ。」と。
出来なくなった事だらけだけれど。
私達の都合や判断で母の習慣を変えるのは正解ではないと思える瞬間。
母はまだ自分の時間を変わらず生きている。
私もつい、どうせ見ないしと記入を怠っていたら、たまたま自分の覚書で書いていた、ひとつの予定の餅つき。
「○○日は餅つきだねー」と呟く母。
おおっと!
見てるんだ!!!
取り上げちゃいけない。
自分の判断で「もう出来ない」と諦めちゃいけないんだ。
母の頭の中の思考や認知を私は覗き見ることが出来ない。
でも、異常言動の裏には、言葉で表現できない不快感や不安、確かに目的を持って行動している過程で忘れてしまう混乱などがある事が、ずっと一緒に過ごすことで分かってきた。
認知症は、物忘れしちゃった、えへ( ̄∇ ̄*)ゞ程度のことでは無いのである。
本人も頑張っているけれど、どうしようもなくなってしまう病なのである。
看護師なのに。
分かっているはずなのに。
私は娘として、健康だった頃の母と比較して、絶望して、批難して、何ならまたあの頃のように戻るように指導までしようとしていた。
改めて思う。
「普通」って何だろうと。
私は今、「集団」ではなく「個」で行動している。
常識と思っていた時の流れの半歩外側を、今日の自分に合わせて誰とも比較せず歩いている。
それでも一日は流れ、今日は終わり、明日が来る。
普通や常識は自分が自分で決めていいんじゃないかと思い始めた今日この頃。
明日はカレンダーの覚書によると餅つき(笑)
明日に向けて準備しながら、空っぽの冷蔵庫を満たす買い物に出かけよう。
そうそう、某書店で母のカレンダーも忘れずに買わなきゃ(笑)
焦らず騒がず、今を見る。
自分達の速度で、良い方向を目指して。
食事制限は一旦置いてしまって、明日は大好物の餅を沢山食べていいよ(糖尿病(笑))お母さん♡(笑)
大丈夫。
九州も冷え込む今日。
寒いけれど今日もぼちぼち元気です。