【「信用」と「信頼」と「あなたと私」】
タイトル。「部屋とワイシャツと私」とか「愛しさと切なさと心強さと」とか「愛のままにわがままに僕は君だけを傷つけない」みたいでいいでしょ?(最後だいぶ違うよね!!)(笑)
信用とは
確かなものと信じて受け入れること。
それまでの行為・業績などから、信頼できると判断すること。信頼とは
信じてたよること。たよりにできるとして信ずること。
今までのお互いのやり取りという過程があった上であなたは信じられるという感じ。それが信用。
あなたは見たところとても頼りがいがあるように感じるのでここはどうか何とかしてくれないだろうかとある意味期待している。それが信頼。
…のような気がする(笑)
と言うわけで何だか裏切られたような気持ちになりやすいのは信用かなと。
あなたと私のこれまでがありあなたに託したり委ねたりしますという事例が多そうだから。
「やってくれるはず。そう信じている。」と「やってくれるはず。そうであればいいな。」と。
微妙なニュアンスだけどそうであるはずとそうであってくれたらいいなとでは全く違う。
誰かを信頼できるかを試すのに一番良い方法は、彼らを信頼してみることだ。(ヘミングウェイ)
《託して信じて託されてお返しする。そんなやり取りから生まれる信用。》
信頼し信用できる相手がいるって幸せな事。
誰も信じられない人生なんてコチコチで気を緩めることが出来なくて生きにくい。
川の中で私が掬った砂金が入っているかもしれない砂をあなたに渡す時に一粒もこぼさず渡せるわけもなく。その砂に託された私の気持ちが伝われば伝わるほど相手側は細心の注意を払い両手と指に隙間が出来ないようにそっと慎重に受け取るはず。
大切なあなたの大切なものだから。
この大切なあなたの大切なものを託されるという気持ちを相手が持ってくれるかという部分にお互いの信頼関係がもう発生しているわけで。
だって信じているからには裏切られたくない…【大丈夫】。
「信頼関係」ってお互いの気持ちがあってこその言葉。
相手を心底信じられないのに相手に求めてしまってもそれはまだ信頼関係は成立していない。
相手を信頼するということは、最初は渡したものが少しこぼれ落ちても仕方がないけれどどのくらいの量を大切にこぼさずに受け取ってくれるだろうかのやり取りみたいなものだと思う。
こぼしてしまっても「いいですよ。残りを大切にしてくれてありがとう。またよろしくお願いします。」と言ってくれた相手に対して「次はもっともっとうまく受け取る事が出来るようにやりますね。」とそんな感じのやり取りを繰り返し…信用できる相手になるんじゃないかと。
返ってこなかったものを、こぼされてしまった量に対して失望するよりもそれだけ残してくれてありがとうと言えるような大きな人に私はなりたい。
そして誰かに信頼して託してもらえるような人になりたい。
信頼してもらえる、そして信用してもらえる自分になればいつの間にか信頼できる人が周りにたくさん笑ってくれていたって、そんなのがいい。
だから相手の大切なものこぼさないようにできる自分になりたいなと思えていれば…【大丈夫】(*´˘`*)