【「お母さん」私は娘でお母さん】
今現在、誰と暮らしているのかは人それぞれ。それでもこの世に存在しているという事は両親がいるという事。そう、すべての人に両親がいる。
そしてぼんやり考える。
お母さんについて。
なーんてすごく真面目な感じで始めてみた今日のブログ。何で今日「お母さん」について書こうと思ったかの理由。
この間、実家を訪ねたら相変わらずの重低音な音楽が台所から聴こえてくる。声をかけても聞こえないくらいの音量。
T-BOLANだった(笑)うちの母さん68歳。ちょっとチョイスがもう懐かしいのか一周回って新しいのか分からないけれど、そんなのお構い無しでガンガンノリノリで炊事中。視野に入った私に気づいて「うわっっっ!!!!」と叫んだ。ウケた。
そして次の日、ノイズキャンセリングのヘッドホンをつけて同じくガンガンノリノリで洗濯物をしていた私に息子が「うどん作ってるから宅配便受け取って」とまるで母親が息子に伝えるような内容を伝える為に不意に肩を叩いた(笑)驚いた私が「んぎゃーーー!!!!」と叫んだもんだから息子が大ウケしながら調理を中断して宅配便を受け取った。
という2つのエピソード。
ここで私は三世代の二世代目として、娘と母親役で登場。驚かせた側と驚いた側。音楽ガンガン聴きながら家事をするのが移りゆく習慣なのか遺伝なのかは分からない。
人格形成に親の影響は多少なりともある。でも私は次女。三歳ずつ離れた姉と弟に挟まれた第二子。この三人同じ両親から生まれ同じ様に暮らして来て、それぞれメキメキと個性を表し…性格はあまり似ていない。
顔はね似てる。背格好や仕草は遺伝したり習慣が映ったりするけど、考え方は個性。そう思う。
私のお母さんは人間味あふれるタイプ。喜怒哀楽が激しく情に厚く…人間臭い。
自分のありのままでダーンと対面で来るような感じだったから隠し事はなかった。
今となって振り返ると記憶は曖昧で細部は端折られていて、本当にモアっとあまりストレスなく育ったなと思う。
細部を端折らずくまなく思い出せばそれは色々あったかもだけど今となればそこはもういい(笑)
そんな私、多分自分のありのままでダーンと対面で行きながらお母さんやっている。
息子に将来聞き取りしたら色んな言葉が聞けるんだろうけど(笑)
《いいお母さん、大成功のお母さんがどんなものかを私は知らない。何故なら私はお母さんだけどまだ娘でもあって、きっとお母さんの完成形なんてないんだと思うから。》
ある時守る側から共に助け合い生きる関係に変わる。
そこで守る・制御・指示采配の役目を手放せるか。
ある時共に助け合い生きる関係から守られる側に変わる。
そこで共に生きるから委ねる・任せる・感謝するに変われるのか。
いや一部の例なんだけどね。いくつになっても親の言うとおりにしてればいい。育ててあげたんだから親の面倒見るのは当たり前なんて話も聞く。
星の数ほどある家族関係。
成功とか失敗とかではなくて結論が出ないまま子供達は違う両親に育てられたパートナーと巡り会い…次は自分が親になる。
時の流れとと共に変わっていく関係性の中でそれぞれが感謝して依存せず相手の幸せを願っていればきっと血のつながりと共に暖かい連鎖が続く。
今頭に浮かぶあなたのお母さんは笑ってる?
今子供の事を思い浮かべているあなたは笑ってる?
成長するからには加齢もする。できなかった事が出来るようになってまた出来なくなっていく。それが人の人生。
それぞれの自分を通して視点を変えて相手の幸せを願ってみるとたくさんの矛盾にも気がつける。今の自分のポジション。見えた?
【大丈夫】(*^_^*)