【高橋優【CANDY】「いじめ」本当に強いのはどちらか考えてみて欲しい。】
数年前この曲を聴いて、自分の感情の理解なんて全く出来ないまま泣き続けた。
子供だった自分がたったの数十年生きてきて大人になって親になった今の自分で聴いたこの曲。
ぼんやり生きていた。八方美人だったのかもしれない。でも私にとって、いじめている側の友人もいじめられている側の友人も同じく友達だった。どちらとも仲良くしたかった。当時の自分を物陰から眺めてみたいなとよく思う。
時代が変わった。
悪いことをする→怒られる→謝る。
喧嘩をする→殴られる→叱られる→謝る。
先生や親からの叩かれるのは悪い自分を叱ってくれたから→反省する、感謝する。
今では親に叱られないためにとてもいい子でいるけれど、そのストレスをよそで晴らす。
バレないように上手に。
一番喜怒哀楽をぶつけていいはずの親に叱られないために頑張りためたストレスは…外に向く。
とてもいい子な我が子がそんな事をするはずがないので…親も攻撃を外へ向ける。
いじめる方もいじめられる方も、バレないように表と裏を使い分ける。クタクタなんだろうな。誰の前でならば本当の自分でいられるんだろう。
それは晴れた昼下がりのありふれた出来事
図工の授業で風景画を書いていた時の出来事「この色キャンディみたいだね」と誰かが笑った
「ほんとだ、絵の具じゃないみたいだね」と別の誰かも笑った
その筆は僕の口元に差し出され「ほら舐めてみろよ」と女は笑った
抗うよりも応じる方が痛くされないと僕は知ってた僕は知ってた
強かな人になろうと誓った
誰にも期待などしなかった
あの人たちが正しいなら僕は世界でも敵に回そう
愛はどんな味でしょうか?
友情はどんな形でしょうか?
毎日のように差し出されたキャンディの味を僕は忘れない
~中略~
それでも世界は回り続けてた
どんなことも昨日になった
涙もあの痛みさえも怖いほど忘れられると知った
強かに生きていこうと誓った
これは繰り返さぬための歌
追い詰め奪うのが正義なら僕は世界でも敵に回そう
愛はどんな味でしょうか?
友情はどんな形でしょうか?
毎日のように差し出されたキャンディの味を僕は忘れない
高橋優【CANDY】
この曲は高橋優本人の体験を元に書かれた曲。歌詞にも「強かに生きていこうと誓った」とあるように本当に強い。
世の中の大部分が理解してくれなくても、誰かひとりでもいいから「大丈夫だから」と言ってくれる存在がそこにありますように。
かくれんぼもドロジュンもだるまさんが転んだも、攻撃の目が自分からそれるまでは隠れても逃げても息をころして微動だにしなくてもいいんだから。
逃げて隠れていいんだよ。
そしてかくれんぼの鬼もドロジュンの巡査も「転んだ!」と振り向くその子もあなたがそこにいなければすぐに気持ちはそれていくのだから。
だから逃げると言う言葉が良くないのであれば、ただ場所を変えればいい。
場所を変えることは背を向けて逃げるではなく、前を向いて行動すること。価値のない場所から自分が笑える場所へ自分の足で動くこと。
光指す方へ移動するための行動はどんどんやってもいい。
【お天道様は見ている】ちゃんと見ている。だから…【大丈夫】( ´ー`)