【ほんの少しばかりのこと】
結局最後は自分の力が全て。
大切な人の為に何か力になりたいと強く思う場面が多くある。
親が子に。子が親に。友が友に。先輩が後輩に。先生が生徒に…
数え上げるときりがないほど、誰かのために何をしてあげられるのかを考えることがたくさん。
何をしてあげられるのか。
その気持ちがどこから生まれてどこに向かっているのか。
なんだかね、人間ってお節介。
そして過保護。加えてそれぞれ個々に価値観ってものがあり、そこに正義感と支配欲までちょい足ししてくる(笑)
自分が体験した危機や困難や冷や汗事例を、相手には避けて欲しいと願う。
一見優しい。安全第一。
それでも先回りしてすべての危険を取り除いた道へ誘導することが、果たして相手のためなのか。
熱々のアイロンは触ると火傷する。
ならばこの先一生この子の目にアイロンという存在を映さないようにしていこう。
あの学校は素行が悪い生徒が多いと聞く。そんな生徒が大切な我が子の人生に影響を与えることがあったら大変だから…その生徒たちと触れあわないようにすれ違わないように引っ越そう。
こうなってくると、そこにそもそもあるはずの何かも知ることがなく生きていく。
危機や困難や危険ということさえ知らずに。
守ってあげようとしたその人が、一生そばにいてすべてのアイロンと素行の悪い人を視野にいれないように黒服サングラスと、何だか分かんないけどトランシーバーみたいなの持って片時も離れない生活が可能ならばいいのだけれども。
ならば「アイロンは火傷をするくらい高温になるけれど、取り扱いに注意すればとても便利な道具」の取り扱いを実際に体験させながら一緒に触ればいい。
素行が悪いと世間一般の人が言うけれど、大きくカテゴリー分類をしているだけではなにもわからない。
自分とは違うタイプの人や苦手だなと思う人と、どうやって同じ世界で生きていくのか、本当に世間が言っているようにその人たちには「悪」しかないのか。
その世間一般論の捉え方を教えてあげた方が多分ずっといい。
今、日曜日の夜に『今日から俺は』というドラマがあってる。
ちょうど私たちの学生時代に流行ったビーバップハイスクールみたいな感じのドラマ。
当時、周りにはいわゆる不良と呼ばれている先輩がたくさんいて、私達はその先輩たちが集まってくつろいでいる横をニコニコと通り過ぎ、何事もなく無邪気な中学生生活を満喫していた。
そして、何ならばその先輩たちは…優しかった。
決めつけて、先回りして、体験や経験の機会を全て摘み取る事が優しさではない。
溢れる情報や世間一般論や生き辛さに対してどう対処していくか思い悩んだときに、聞いてあげられるかどうか。
結局、最後は自分の力。自分の決断。自分の行動。
それでも「ほんの少しばかり」の力は意外と大きくて、たった一言で乗り越えられたり決断できた経験も多いもので。
ほぼ決めているけれど、信頼できる誰かが「あなたがそう思うのならばそれでいいと思うよ」とか言ってくれたら加速して爆進出来たり(笑)
自分の決断は勇気と責任と、その先の軌道修正や反省までもついてきて、その繰り返しを成長と呼ぶのかもしれない。
誰かのために力になりたい自分が、誰かのためにしてあげられることは「ほんの少しばかり」のこと。
誰かに見ていて欲しい。
振り返ったり、迷い悩んだときにそこにただいて欲しい。
そうすれば、また前を向けるから。
自分にはそんな誰かがいるのかな?
そして自分はここにいるだけで誰かが振り返った時の安心になれているのかな?
誰かの人生。
すべて自分がどうにかしようなんておこがましい。
ここにいて見ている。出来ることはほんの少しだけどね(^^)
そこで見ててね。ほんの少しだけでいいから。そのくらいでいいよね。【大丈夫】(∗ˊᵕ`∗)