【競争や戦いのその先にあるもの】
幼い頃からずっと、何かしらの形で競争してきた。
順位がつくことが当たり前だと思うくらい、勝たなければ駄目なんだと思い込むくらいいつでも競いあってきた。
目標を達成するための過程として他の誰よりも抜きん出た結果を手に入れたい。
目標があるから努力も出来るしモチベーションも上がる。
ただ競い合うことは同じスタートラインに立った自分以外の誰かを蹴落とすことではない。
一人が選ばれると一人が落ちるという世界も確かに存在する。
スポーツや芸能界のオーディションや定員制の学校など。
譲り合っていては夢が叶わないこともある。
それでも共に戦ったと言うことは、目指す世界が同じだということで個人プレーでなければ仲間。
個人プレーでも良きライバル。競争相手がいなければそもそも努力だってしない。
時々の不戦勝は少し得した気分になるかもしれないけれど、誰でもいつでも努力なしで叶う夢や勝利ばかりでは感動も達成感も生まれない。
努力して勝ち取る過程や努力は人生の財産。
でも負けた相手を嘲笑ったり、過剰な優越感で見下したりという歪んだ満足感に支配されてしまうのは悲しいなと思う。
戦って勝敗が決まった後の握手や抱擁。
共にライバルでいてくれてありがとうという感謝。
今回夢を叶えるチャンスを掴んだり、勝利を手にしたからにはあなたの分も背負って頑張るという気持ち。
競争が蹴落とすものではなく、優劣つけるものでもなく「今回同じ目標に向かって戦った結果」として完結すれば暖かいなと思う。
私の人生は正直あまり競争してこなかった。看護師の国家試験は合格定員が決まっているのではなく、合格基準点を満たしていれば合格できるというルールの試験。
だからその年の合格率100%だって普通にあり得る。
競争心の乏しい、激戦区を潜り抜けたわけでもない私だからこんなにのんびりしたことを言うのかもしれないけれど。
競争に無縁な人生だとしたらパン喰い競争みたいな人生にすればいい。
一生懸命に戦って手にしたあんパンは、あんパン大好きもしくはお腹の空いた誰かにあげると素敵な笑顔付の「ありがとう」を貰えるから超お得(笑)
アンパンマンも言っているように、あんパンはひもじい人を救うから。
自分の為だけでなく誰かのために競争してもいいなと親になった私は思うのです。
競争は過程であり結果はその先にある。隣のライバルは先の親友かもしれない。
時には理解できないまま戦って敗けることもある。
敗けは悔しくて悲しいけれど、しばらくしたら皆が心から笑っていることもある。
今日は終戦記念日。73年前ラジオの前で泣いてくれた私達の先を生きてくれた方々。
命を捧げてくれた方々。
今、私たちは平和のなかで笑っています。戦いの結果を暖かいもので持続させることが何よりの感謝だと私は思っています。
これまでこれからも。きっと…【大丈夫】(*´˘`*)