大丈夫日記

日々出会った言葉から【大丈夫】を探していきます。

【音楽の力と偲ぶ気持ち】


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仕事納めも仕事始めもない年末年始。

そんな時を過ごしてもいいんだなと思える時間。

 

この数年で、この先もずっとずっとどこかで生き続けながら、一緒に歳を重ねる予定の私の近しい人達とのお別れがいくつもあった。

 

残されるということは、悲しくもあり。

溢れる記憶や思い出に溺れることでもあり。

 

その度に私は

「嵐」や「竹内まりや」や「LOUDNESS」や「BOOWY」等のそれぞれの思い出のテーマソングみたいな曲を聴きながらそっと偲ぶ。

 

溺れそうになる不安な時間に

それぞれの曲が浮き袋みたいにそこにある。

 

音楽っていいな。

私の人生の道筋にはずっと音楽がある。

この先もずっとずっと多分ある。

 

思い出の中のその人が大好きだった曲。

思い出の中のその人が素敵に歌っていた曲。

そして思い出の中のその人と過ごしていた時にずっと聴いていた曲。

 

音楽と記憶と思い出はいつも同じ高さにある。

 

古い曲も新しい曲も、心に響くものには自分や大切な誰かを思う気持ちが込められている。

 

ちなみに。

藤井風の「優しさ」と言う曲が、今、私の一番近い人の私の中でのテーマソング(笑)

 

私がこの人生を閉じた時、私を思ってくれる人達はどんな曲を浮き袋にしてくれるんだろうと想像すると…

ちょっときっと、上から「あーそう来たわけね!」ってしばらく眺めてご満悦になるんだろうなと思ったりして、我ながら微笑ましい(笑)

 

かっこいい人生を生きよう。

 

今日はCCRの「雨を見たかい」を何度も聴く日。

かっこよくて、素敵な話術で老若男女を笑顔にさせた人生の先輩。

猛烈に憧れています。

 

人生が終わる日まで

幸せにかっこよく生きようと思った日。

 

大丈夫。

今日もこうして誰かを大切に思っています。

【母のカレンダー】


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目指せ!食品ロスゼロ家庭!(笑)

食材を使い切った時の空っぽの冷蔵庫を眺めた時の達成感に幸せを感じる日々。

「何も無い」ではなく「使い切ってやったぜ( •ω-)✧」と言う転換思考。

良き良き(笑)

 

今日は母のカレンダーのお話し。

母は元気な時からずっと同じカレンダーを毎年買い続けていた。

大きな大きな1日分の記入欄に、たくさんの予定やあった事が書き込んで残されている。

日記みたいに。

何年分も何冊も残っている。

 

数年前からは、頼りない字で。

そして年々空白が目立つようになった。

それからは私や父や介護支援の方々が、母へ分かるように記入するようになって。

最近ではもう、そのカレンダーを見る事も減ってしまった。

 

先日「今年もこのカレンダー買う?」と母に確認した。

すると当然のように「うん。買うよ。」と。

使えなくなったガラケーを解約しようかと相談した時も「いや、まだ要るよ。」と。

 

出来なくなった事だらけだけれど。

私達の都合や判断で母の習慣を変えるのは正解ではないと思える瞬間。

母はまだ自分の時間を変わらず生きている。

 

私もつい、どうせ見ないしと記入を怠っていたら、たまたま自分の覚書で書いていた、ひとつの予定の餅つき。

「○○日は餅つきだねー」と呟く母。

 

おおっと!

見てるんだ!!!

取り上げちゃいけない。

自分の判断で「もう出来ない」と諦めちゃいけないんだ。

 

母の頭の中の思考や認知を私は覗き見ることが出来ない。

でも、異常言動の裏には、言葉で表現できない不快感や不安、確かに目的を持って行動している過程で忘れてしまう混乱などがある事が、ずっと一緒に過ごすことで分かってきた。

 

認知症は、物忘れしちゃった、えへ( ̄∇ ̄*)ゞ程度のことでは無いのである。

本人も頑張っているけれど、どうしようもなくなってしまう病なのである。

 

看護師なのに。

分かっているはずなのに。

私は娘として、健康だった頃の母と比較して、絶望して、批難して、何ならまたあの頃のように戻るように指導までしようとしていた。

 

改めて思う。

「普通」って何だろうと。

私は今、「集団」ではなく「個」で行動している。

常識と思っていた時の流れの半歩外側を、今日の自分に合わせて誰とも比較せず歩いている。

 

それでも一日は流れ、今日は終わり、明日が来る。

 

普通や常識は自分が自分で決めていいんじゃないかと思い始めた今日この頃。

 

明日はカレンダーの覚書によると餅つき(笑)

明日に向けて準備しながら、空っぽの冷蔵庫を満たす買い物に出かけよう。

 

そうそう、某書店で母のカレンダーも忘れずに買わなきゃ(笑)

 

焦らず騒がず、今を見る。

自分達の速度で、良い方向を目指して。

 

食事制限は一旦置いてしまって、明日は大好物の餅を沢山食べていいよ(糖尿病(笑))お母さん♡(笑)

 

大丈夫。

九州も冷え込む今日。

寒いけれど今日もぼちぼち元気です。

 

【結果良ければドンマイも良き】


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寝坊した。

 

ぬあっ!今日は週一の母のショートステイのお迎えが来る日じゃあないか!!!

 

…あ。

今日はお部屋がいっぱいでショートステイお休みの日だった。

 

…ぬあっっ!!!今日はペットボトルの回収日では無いか!!!

 

…間に合った♡(笑)

 

今日は冬至。良い天気。

今日は大切なパートナーのお誕生日。

良き日ではないか。

愛猫達はサンルームで日向ぼっこ。

ほっこり。

一昨日は母のシャワーの前にセルフヘアカラーをしてさしあげてみた(笑)(月曜日で床屋さんお休みだったんだー)。

昨日は母の受診に行き、2人でスーパーでお買い物。あんこ餅とか果物とかばっかり希望する母と(糖尿病(笑))とワーワー言いながら、妥協の惣菜ゲット(笑)

 

今日のスタートは、あわわのあたふただったけど、何だか全てが「いいではないか」という気持ちになって、何なら午前中に親子で順番に風呂とか決め込んでみたりした。

 

母はあと一歩でシャワー出来そうだったけど、食後の満腹に負けて断念(笑)

 

本当は大掃除と言う最大のミッションが立ちはだかっているのだけれども…

うん。

きょ…今日はやめとこう(笑)

昨日まで頑張ったからさ。

今日はやるべき事もやらない日にしよう。

 

日々ドンマイ。

予定は未定で決定にならぬまま、今日が終わる。

その事を悔やまなければ。

そして今日も何となくご機嫌で過ごせたならば、明日への希望もまた湧くでしょう(笑)

 

今年の師走は。

いつもと違う風合いでお送りしております。

 

根拠はないけれど何だか来年は良い一年になる気がする。

そんな気がするという気持ちがとても大切。

 

気ままに間食した3人は、いつもの夕飯の時刻が近づいてもお腹が空かないものだから。

 

ブログ書いてます(笑)

 

大丈夫。

こんな風だけど今日も元気です。

 

 

【取扱説明書】


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フルーチェ買って牛乳を買い忘れる。

そんなタイプの私。

 

最近よく見る「○○の取説」。

 

そもそも私は取扱説明書を読むという行為がとても苦手。

うん。

もうとても苦手(笑)

 

若き頃、オートバイのプラモデルを作った。

完成品は、何か決して部品として付属されていない支えがないと飾れない雰囲気のそれになった(笑)

すっ飛ばすなんてありえない工程を、斜め右上をとぼけた顔して見ながらすっ飛ばしちゃうタイプ。

 

そんな私の取扱説明書にはきっと。

 

①泣いても喚いても構わずそっと傍観してあげてください。しばらくすると元に戻ります。

②よく出来た時には盛大に褒めてあげてください。3日間ご機嫌です。

 

みたいな事が書いてあるに違いない。

 

取扱説明書が苦手な私なので、そんなに繊細な取扱説明なんてないのである。

 

猫と暮らし始めて思う。

私も猫みたいな人間だなと。

かまって欲しい時はこちらから行きます。

それ以外は見ててくださいみたいな(笑)

 

レゴやプラモデルやパズルを、時間をかけて完璧に仕上げる人を尊敬している。

ひとつの事に集中して完成までやり遂げる人を敬っている。

プログラミングなんて出来る人は、きっと私とホモサピエンスでの亜種の分類階級が違うのだと思っている(笑)

 

ちゃんとした方が生きやすいに違いないけれど、ちゃんとしなきゃと思うと私は生き辛い。

全くもってどうしようもないけれど、何だか人の親になり、今では子に見守られ(笑)今日も生きている。

 

こんな自分はダメなのかと言うとそうじゃないはず。

こんな私と暮らせない、生きていけない人とは、一緒にいなければ迷惑をかけることも最小限に抑えられる。

 

相手の常識に合わせる事が絶対であるならば、努力して合わせるようにして。

相手の常識に合わせることで苦しみを伴うのであれば、そこからは離れて生きることって実は許されるのでは無いかと思う。

 

自分の知らない所でされている批判まで気にしていては、身体と心が年がら年中しゃきんと「起立きょうつけ礼」の繰り返しで、いつまで経っても着席できない。

 

そんな一生卒業式の卒業生みたいな緊張し続ける時は過ごせない。

 

こんな自分の取扱説明書を、斜め読みして、それでいいさと見ててくれる相手と生きて行こう。

 

今日は自分を慰め、強引に肯定しながら、年末に立ち向かうブログ(笑)

 

大丈夫。

そんなこんなで今日も元気です。

 

 

【愛しさと切なさとあれやこれやと】


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コロナだから。

会えなかったんだ。

 

婆ちゃんと。

 

私は婆ちゃんが大好き。

婆ちゃんは特別養護老人ホームで生活している。

 

コロナだから、もうかれこれ2年以上会えていなかった。

そんな中、時間制限と予約制ではあれど、面会ができるようになった。

 

母が毎週1泊だけショートステイに行ってくれるようになったので、出来た時間で婆ちゃんに逢いに行くことにした。

 

94歳なのに。

全く変わらない。

私の事はどんなに混乱していた時でも分かってくれていたけれど、今回は忘れちゃっていたみたい。

どちらかと言うと私の外見が変わっちゃったからなー(笑)

 

母の話しをすると、すごく優しくにっこり笑って「〇〇(私の母、婆ちゃんの娘の名前)の母です。よく似てるでしょ?よろしくお願いします。」と言った。

そしてそのままの表情で「ずっとあんたば探しよったよ。」と言った。

 

婆ちゃんは私の姉と私の従姉妹である2人の孫がお先に空に帰ったことを知らない。

心配性で優しい婆ちゃんが耐えられないと思って話さなかった。

 

ふんわりと笑っている婆ちゃん。

一体どんな我慢をして、気持ちに折り合いをつけて生きてきたんだろう。

 

会いたかった気持ちと、会えなかった2年間に起こった色んな出来事が一気に溢れた。

 

長い時間は話せないけれど、また会いに行こう。ちょっと婆ちゃん連れて帰りたかった。ずっと一緒に居られたらなと思った。

 

帰り道、何だか分からない気持ちで…

もう感情のままにダバダバ涙を流しながら運転した。

 

愛しくて切なくて、寂しくて悲しくて。

ああ多分、私は頑張ってきたんだなと。

 

先日、息子が17歳になった。

先日、一時帰佐した親友に束の間会う事が出来た。

先日、長い間会えなかった佐賀の親友にも束の間会うことが出来た。

母に笑顔が増えた。

婆ちゃんに会えた。

体調を崩していた猫も回復した。

優しい人達が、私に元気や勇気が生まれる曲をシェアしてくれる。

 

これでいいんだ。

今日、今、私は幸せ。

大丈夫。

今日も元気です。

 

 

【仕事について考えてみた】


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高校の頃からアルバイトをしていた(もう時効だと思う(笑))。

朝は新聞配達もしていた。

自転車で(笑)。

この頃は自分の自由の為のお金は自分で手にすればいいと単純に考えていた。

 

そのうち、学校を卒業すれば働くものだと言う考えに変わった。

 

なので就職した。

 

働き始めると「ああなるほど。人は生きていく為に働くのだ。」と当たり前のように考えるようになった。

だって周囲が皆そうだったから。

 

生きる為にお金が足りなければアルバイトをした(もう時効だと思うPart2(笑))。

 

そのうち自分が親になると、養う為に働くものだとこれまた当たり前のように考えた。

ここが1番、義務感満開の時期。

…だと思っていたけれど、実は仕事で責任感のあるポジションになってからがもう、本当の義務感任務系勤務になった。

 

後先ばっかり考えていた。

よくまあ1日24時間で生きてきたなと思う。

自信もなければ知識もなくて。

 

そのうち仕事が生き甲斐なのかなと思う時期もあった。

止まったら命を落としてしまう回遊魚の様にただひたすらに動き続けた。

 

そして今。

無職。

 

私は今、今までにない生活を送っている。

誰かの為に仕事をするのではなく、誰かの為に仕事をしない生活。

 

いやー慣れなかった、と言うか今もまだソワソワする。

それでも、この先仕事をする時に「生きる為に働くの」のか「生き甲斐としての仕事で働くのか」とふと考えた。

 

現時点での答え。

幸せに生きる為に働く」

ここ。「幸せに」がポイント。

 

その時にお金があることが幸せと感じるならば、それなりに頑張ってたくさんお金を手にする仕事を探すだろう。

 

その時にゆとりある時間が幸せと感じるならば、少ないお金でも楽しんで節約をしながら無理なく働くだろう。

 

なので。

「生き甲斐としての仕事」ではなく。

「生き甲斐を感じる幸せな人生」の為の仕事を探そう。

ハローワークで(笑)

 

お金。生活。義務。責任。世間体。やり甲斐。夢や希望。

ついでに地位や名誉。

仕事についてくるエトセトラ。

 

あらかた体験出来たので、これからは自分と自分の大切な人が幸せになる人生を見据えて、ありがたく働けたらいいなと思う。

 

回遊魚じゃなかった私が、仕事という動きを止めて考えた現時点の感想文なブログ(笑)

 

大丈夫。

今日も楽しく生きています。

 

【鏡】





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ショッピングモールの季節の写真撮る(表現の語彙力よ(笑))スポットのまさにそのベンチでのんびり寛ぐご老人を見てほっこりした。

 

おはようございます。

 

先日、私が半日以上家を空けなければならない検査をした。

認知症の母にその説明をしたら、すんなりとニコニコとショートステイに行ってくれた。

 

デイサービスをあんなに拒否して行かなかったのに。

そして1泊してニコニコ帰ってきた。

 

検査も異常なく、1泊だったけれど母と離れた事で、何だか我が家に優しい空気が満ちた。

私がニコニコすると母もニコニコする。

母が穏やかだと息子も穏やかになる。

2人が穏やかだと私も穏やかになる。

そして私がニコニコする。

 

感情はまるで鏡に映したように、お互いに影響する。

相手の感情を見て、イライラするのか。

私の感情を見て、相手がイライラするのか。

 

だとしたら、自分自身が穏やかになれば相手も穏やかになるということ。

 

そんな時、Facebookの思い出の欄に8年前のこんな投稿が上がってきた。



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この時は本当にありがたい気持ちでいっぱいだった。

 

穏やかになった母。

失敗しない訳では無いし、認知症も進行しているけれど、現在の毎日の中での穏やかに感謝の気持ちはある。

 

現状を儚むばかりでは、憂いの日々が続くばかりだけれど、今ある穏やかさに私は一時幸せを感じている。

 

無邪気な猫をニコニコと眺めるゆとりが出来た母。

私のイライラを受けて混乱していたんだろうな。

 

今こそマイペースを発揮して、今こそ比較せず、今こそ今を生きよう。

 

この世の多くは鏡だな。

だからこそ、自分に優しく穏やかに生きていける選択が大切なんだと思う。

 

介護ではなく、私たちの生活として少しずつ馴染んで(慣れて?)来た毎日を、ドタバタゆったり生きていこう。

 

大丈夫。

今日は昨日よりとても元気です(笑)

 

【時は流れ変わり行く】


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今と比較して過去は

幸せだったとか

不幸だったとか

記憶を辿る生き物、人間。

 

あの日があって今日がある。

今日があるから明日もまた来る。

 

永遠とか絶対とか。

ないなと気づき始めるお年頃。

 

あの時「ずっと一緒に居る」と言ってくれた殿方は今はここにいないし(笑)

永遠を誓って家族になっても

永遠ではないことが今の世の中珍しくなくなった。

 

訪問看護という仕事が好きだった。

何なら己を顧みぬレベルの、ずば抜けた夢もあった(笑)

ちょびっと自惚れ、自己のみの判断でよければ、天職なんじゃない?なんて思ったりもした(笑)

あ。ごめんなさい(笑)

 

それでもその仕事をあっさり辞めた。

そんなこともある。

想定外そりゃある。

 

何度も言うけれど、私は現時点で我が人生に悔いはない。

悩んだり悲しかったりしたけれど。

きっと無意識にたくさんの人を傷つけたけれど。

固く誓った約束を果たせなかったけれど。

 

未熟な私なりに

その時のその瞬間を精一杯生きてきたと思うから。

間違えたけど。

失敗もしているけど。

 

でも。

永遠とか絶対とか約束とかの言葉達。

じゃんじゃん使っていいと思う。

 

確かにその時は

相手に対して自分が

自分に対して相手が

曇りなくそう思っているわけで、思っていたわけで。

 

時が過ぎれば

色々と変化していくもの。

変化しなければそれはそれで生き辛い。

 

あの時の約束は果たせなくとも。

今日の今の気持ちを精一杯込めて約束をしたい。

そう思う。

 

辛いも幸せも

積み重ねて経験して

優しくなれたらいいなと思う。

 

大切な人との関係性が変わっても

私の見えないところでずっと

全員が幸せでいて欲しいと思う。

 

飛行機雲を見て

うわーって何となく幸せになる。

この飛行機雲を発生させている操縦士は

ただ任務を全うしているだけなのに

知らないところで誰かを癒す。

 

素敵やん。

 

永遠を誓うことも

約束を交わすことも

その時、確かにそこに強い想いがあったんだ(笑)

 

そうやって

自分の人生、まんざらでもないやんと

ニヤニヤして行こう。

 

その角曲がれば

新しく永遠誓いたい事柄がドンッとあるかもしれぬ。

 

そして。

愛されている自信を持って

少なくとも自分の事を愛して

右足左足を勇ましく前に出すのだ。

 

そうすればきっと。

明日はきっとちょっと進んでる。

そして、そう思って迎えた今日はやっぱりちょっと進んでたよ。

 

大丈夫。

今日も私は元気です。

 

 

【一休みとは何なのか考えている】


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寒っ!

そうだ衣替えをしよう。

 

私は自慢と言っても過言ではない程、片付けが苦手。

要領も手際も悪い。

ただ部屋の中の物を集めて移動させて、積み上げちゃうタイプ(笑)

 

そんな私の衣替え決意。

パチパチパチ(拍手)。

まず、冬用を全部出しちゃうと言う

後先考えない行動からスタート…

 

するや否や、介護の突発事項発生。

あるある。

 

さあ!再開!…

しようとすると猫2匹。

空いた衣装ケースの中でもんごりもんごり、格闘始める。

出した衣類を足台に華麗に飛び交う(笑)

 

衣替え妨害甚だしい。

 

あーーん!

もーーーう!

 

…ちーーん。

 

私の…

1歳の誕生ケーキの上の

細い華奢なろうそく位の持続力しかないやる気は

猫2匹のハッスルな鼻息で…

いとも容易く消された(笑)

 

現在の報告を致しますと

冬物衣類がばらまかれたお部屋で

寝転んでブログを書いているなう。

 

これじゃあさ。

「衣替え」じゃなくて「衣」やん。

と息子が呟く。

 

ちっきしょう。

上手いこと言ったていでディスりやがって(笑)

 

私の一休みは

一般の方の八休みくらいあるのではなかろうかと。

寝転んで…

散らばった冬物衣類と

疲れ果てて液体みたいになって眠りこける

2匹の猫を視野に入れながら考えている。

 

来世はきっと

綺麗好きでミニマリスト

美人で色白で美肌で色気さえも漂わせるような女性になってやる。

 

さては一休みから今日を食い尽くされそう。

 

いーいの、いーいの、いいのー。

 

こんな私でいいの。

 

あー猫かわいい。

あー息子大きくなった。

あー今年も冬物衣類が拝めた。

 

いいのいいの。

大丈夫。

多分今日も元気です。

【島で暮らす】


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いかん。

このままでは介護報告ブログになっちゃうぞ(笑)

それはそれで記録としていいかもしれない。

 

でも…

内容がその…

あんまりその…

美しくない(笑)

 

とは言え。

必要最低限の

最大頑張って

2時間程度の外出しかしていないものですので。

 

現実逃避…いや、素敵な隙間時間の使い方のお話でもしよう。

 

さて。

まずはこのブログ。

ストレス発散に書いている次第。

書くのが好きなのである。

それだけである(笑)

うん。

 

そしてゲーム。

昔から、ちまちまやる系のゲームが大好き。

時間が無くても少しの隙間でちまちまやるくらい好き(笑)

 

なので私は今、島で暮らしている。

はい。

「あつまれどうぶつの森」ってご存知?

コロナのステイホームで爆売れした例のあれ。

現在、訳あってステイホームの私…

今こそ!!(笑)

 

バーチャル世界。

仮想世界。

何なら7:3の割合でバーチャル。

7:3っていったらもうグラスビールの泡との黄金比

その泡じゃない方の割合でバーチャル(笑)

 

島では介護とは真逆の暮らしをしている。

理想の自分の島を作り島民と触れ合い、

何なら、リゾート島でご希望の別荘をオーダーメイドでコーディネートする仕事までしている。

現実世界では無職で、大層自由になるお金なんてないけれど…

 

島ではバリバリのキャリアウーマンで、大金持ちの土地持ち女ぞ(笑)

 

現実ばっかり凝視しちゃうと、いかんせん世知辛い。

介護は24時間体制だけれども、24時間のどこで動くかは計画立てて出来るものでは無い。

 

家を空けられないと言う事実と

ずっと家に居ることが出来るという事実

ここにあり。

すなわち緊張と緩和。

 

ならば緩和の時間は現実逃避。

 

お食事中の方を考慮して詳細を省略しちゃうような、我が家の介護を終えたら島に行く。

 

炊事洗濯等の家事を終えたら島に行く。

 

現実とバーチャルを、華麗に反復横跳びする48歳。

悪くない(笑)

 

現実世界は求不得苦。

バーチャル世界は自在不羈。

 

よいよい。

気持ちを逸らし、犠牲にならず、楽しむことを盛大に許す。

 

大人なのに。

無職なのに。

ゲームしてる。

そんな私を盛大に許す。

 

⚠︎注…やることはちゃんとやってるぞ(笑)

 

私は家にこもり。

島で暮らしている。

そんなお話し。

 

大丈夫。

今日も元気です。

 

【父について少し話そう】


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昭和18年生まれの父。

77歳。

 

三兄弟の真ん中の私。

次女の私。

父は何故か私には甘い(笑)

昔からひどく叱られた記憶が無い。

 

どんなにやんちゃで迷惑かけようが

叱られたことがない。

 

高校の頃、隠れて喫煙した時も(笑)

「お父さんも大変な思いしてやめたとぞ」

 

深夜に車で出かけた先で、車が動かなくなって乗り捨てて帰宅した時も(笑)

翌朝、その場所まで送ってくれて黙って押してくれた。

 

私がシングルマザーになった時も(笑)

「自分で決めたとなら」

 

寂しそうに仕方ないという表情で。

 

反抗しようがないではないか。

 

現在、私は認知症の母の介護をしている。

私の母は、父の妻だ。

私は父に愚痴という名の報告をする(笑)

 

特に母が私の息子を認知しないことに関して報告をする。

父は言う。

「どうしてこうなったかなー。いつも買い物に行ったら「○○(私の息子)のば買わんば」てばかり言ってたのにな。」

 

…あ。

そうだった。

まだ別に暮らしていた頃、いつも私の息子の好きな物を買ってきては、取りにおいでと電話がかかってきていた。

 

いつもこうやって父の言葉が、私をぐんにゃりとぬるりとリセットさせる。

 

今を生きると決めた私。

でも今が理不尽だと、母との悪い過去ばかりを思い出してしまう。

 

ちゃんと与えて貰っていた頃をすっかりすっ飛ばしてしまう。

 

今を生きるさ、決めたもの。

ならば過去は後味のいい場面を振り返った方が、俄然今に優しいなと。

 

母はよく言えば…喜怒哀楽丸出しの人。

父はよく言えば…穏やかに頑なにマイペースな人(笑)

私はこの2人のミックス。

 

私の両親が教えてくれたこと。

 

感情的にならない方が、言葉が際立ち気持ちが相手に伝わりやすいという事。

父母が対局の生き方で教えてくれていること(笑)

 

ああもう仕方がない。

振り返り思い出すのならば笑っていられるその過去にしよう。嫌な過去より優しいもの、自分に。

 

そして。

私は許されているのだから、私も許そう。

 

こんな事を思う。

 

父は私には甘い(笑)とにかく何故か私には甘い(笑)

今日はそんな父のお話し。

 

大丈夫。

今日も何とか元気です。

 

 

【古き良き】


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「洗濯するよー」

「お風呂いいよー」

「ゴミ出すよー」

 

洗濯は全自動のスイッチを押して

脱水が済んだらサンルームに干す。

 

雨の日にはサンルームで除湿機のスイッチを押す。

夜干して翌朝乾く。

 

お風呂は自動のスイッチを押す。

 

家事の時にはサブスク音楽配信サービスで

作ったプレイリストの曲を聴きながら。

何ならスマホのプレイリストをBluetoothで飛ばしてコンポで流したりしながら。

 

言っておくけれど、私はお金持ちではない。

 

お風呂は父が住宅改修したもの。

ちょっと調子悪いので、すんごい少ない湯量で自動運転が終了してしまうけど(笑)、後は足せばいいし。

 

サンルームは介護で同居する時に、唯一私が父に頼んで作ってもらったもの。

仕事で帰宅が遅かったので、日が暮れてしか干した洗濯物を取り入れられない事は想像できたし、大きな洗濯物が増えることも想定できたし。

 

除湿機だって実家にあったものを使わせてもらっている。

 

にしても便利。

 

こんな事をぼんやり考えるきっかけは

父がゴミに捨てていたカセットテープ。

懐かしい(笑)

詩吟をしている父は今なおカセットテープを愛用している。

 

これがきっかけで、まだ数十年前の昭和の生活を思い出している。

 

例えば、あの頃の介護ってどんなだっただろうか。

福祉サービスなんてない時代。

必ず誰かひとりが付きっきりで介護していたはず。

紙おむつもない。

洗濯も手洗いで、速乾性や防水のシーツもなかった。

介護ベットのレンタルなんてもちろんない。

 

お風呂だって勝手に湧いてくれるはずもなく。

 

古き良きは、今の便利さを知らなかった自分が当たり前に育ってきた時代を体験したからこそ。

 

そこを通ってきての自分は、経験をさせてもらっただけで、特に偉くはない。

もっと不便な時代を生き抜いてきた先祖とは比較にもならない。

 

ただ思う。

私たちを苦しめるのはこの「比較」。

 

「比較」の使い方によってはありがたい気持ちに満たされることもたくさんあるのに。

 

懐かしいね。

不便だったけど楽しかったね。

 

それだけでいいんだと思う。

 

子供達の今の生活は、私達の頃とはスタートが違う。

だから、お互いが知らないことを知識体験シェアしながら楽しく暮らそう。

 

毎日毎日シーツや毛布や敷物を洗うけれど、私の介護は今の時代だからこそのやり方がある。

 

便利だけど大変なこともあり。

不便だったけれど幸せな事もたくさんあった。

 

ただそれだけの事。

 

昭和風味の古き良きを、良い意味で懐かしみノスタルジックに浸るのは、頑張って生きてきたからなんだ(笑)

 

比較しなければ

今日の自分軸で考えていくことが出来れば

得て失っての繰り返しであったとしても、また得ることが出来るのだ。

 

自分の人生を作るのは自分。

ならばちょっとでも幸せに生きていこう、せっかくだもん。

 

朝、昼、晩と違うシーツが干されているサンルームに感謝!(笑)

 

大丈夫。

今日も元気です。

 

新しい日々を。


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10月末日。

3年間、勤めさせてもらったステーションを

退職しました。

訪問看護歴トータル12年超。

 

私の訪問看護人生と並行して

私自身のプライベートな人生も

色々ありました。

 

結論。

 

今だからできることを大切に生きる。

 

過去でもなく未来でもなく、今。

 

社会人として働くことを手放してしまったら

いけないんじゃないか。

働かざるもの食うべからずなのではないのか。

親としての責任は…

 

なんて葛藤もしましたが

最終的には、自分が笑顔で暮らせなければ

大切な人誰一人幸せになんて出来んのです。

 

人生のステージは変わっていくもの。

それは喪失ではなく前進。

 

という事で、再就職先を決めずに退職した理由は「介護」です。

 

やりたい仕事を思う存分やれました。

そしてこれからもやりたい事をやるでしょう。

我が人生に悔いなし(途中経過(笑))

 

基盤を整えていけば揺らがないことを

私は48年間で学んできました。

その経験は…生かしますぜ(笑)

 

24時間を使い、自由気ままに介護します。

なので突発的なあれこれは、ドンと来い。

 

介護は義務や犠牲でやってはならぬ事を

薄々気が付き、割り切って専念することに決めた私。

 

新たなスタートのテーマは「自由と許しと自分なりの精一杯」としておきます。

 

貴重な経験させていただき、大変な中、笑顔で送り出してくれた会社とスタッフに感謝。

 

私の介護は頑張らず完璧は目指しません(笑)

大丈夫。安心してください。

私は元気です(*^^*)

鬱で寝込んで見えた景色


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私は看護師。

あと数年頑張れば、看護師歴30年のかっこよく言えばベテランナース(笑)。

 

若い頃から何だか腎臓が弱く、よく腎盂炎になったし不明熱も度々。

息子が2歳くらいの時には腎盂に腫瘍があると言われ精密検査もした。

結果は特に問題ないものだった。

 

子宮外妊娠を3回(逆奇跡女(笑))。

緊急帝王切開(緊急過ぎて全身麻酔)。

おまけで癒着による小腸切除。

パニック障害(治療で寛解)。

C型肝炎(治療で治癒)。

動脈瘤(経過観察中)。

 

誰かの笑顔の為に生きるのが大好きなくせにストレスに弱い喜怒哀楽女。

それでも今日まで周囲を巻き込みながら、コソコソもりもりと生きてきた。

 

そんな私がいよいよメンタルダウン。

 

ちなみに現在の私は、精神科の訪問看護師。

 

いつも寄り添っているつもりの利用者さんが、寄り添ってくれる嬉し恥ずかし不甲斐なしな幸せ。

 

自分がこれまで体験してきた、痛みや悲しみや、回復後の感謝は上記の通り。

 

今回、一睡もしない夜を越え、隔日で気絶して眠る日々をかれこれ2ヶ月以上繰り返した。

そして起き上がれなくなった。

情けなくて涙を流し、もう無理だと仕事を休み、完全に横たわりながら、処方してもらった睡眠薬で強制シャットダウン。

ああ、鬱って横になっていても休息できないんだ。もう決まり文句みたいに鬱の利用者さんに「休息していいんだよ」って繰り返してきたのにね。

 

そして気がついた。

 

今回のこの鬱は私が本当に誰かに寄り添う事ができる人間になるためにまだまだ足りなかった部分を気付く為の贈り物だと。

それプラス休息(笑)。

 

結婚に向かなかった私は、上手く嫁と妻が出来なかった。

仕事の責任は、大丈夫と言い聞かせながら出来てなくても日々動き続けた。

大好きな姉の病気も別れも、大切な息子の不登校も自己流我流の愛で乗り切った。

…はずだったのに、母の介護で実家に戻った瞬間、全てが一気に鉛の塊みたいにのしかかり、気合い云々よりも先に身体が先に停止した。

 

心を病むって、こんなにもどうしようも無いものなんだと思い知った。

そして…

痛い、苦しい、大切な存在を失う、自分の責任で頑張る、誰かを理解する…

色んな体験の総仕上げで、誰かに許され愛される事を全身で受け入れ感謝するという感情をもらった。

 

本当に。

何にも出来ない。

見栄もはれない。

取り繕えない。

申し訳ない。

 

そんな日々。

 

べろんと横たわり、薬を飲み、夜中にちょびっと活動する。

床のホコリの上を無邪気に遊ぶ子猫と、その世話をする息子。

心做しか緊張感漂う母。

姉の事があるからね、娘の不調は不安だと思う。

そんな景色をただただ眺めてる。

 

そして家族、同僚、私を取り巻く人々の暖かさや愛や優しさを燦々と浴び、ドーム状に包まれ療養中。

 

訪問看護師は車で移動するから、なかなか眠気が来そうな薬は自己判断で飲めなかったのだけど、今回は少しお休みいただいてしっかり飲んだからか、ちょっと動ける時間もできて喜んでいる次第。

 

私は自分が体験した苦しみや悲しみの数だけ、きっと誰かを理解出来る自分になれるんだといつも思う。

だとしたら、この体験はきっと誰かの力になるんだと思う。今回の脱皮後の自分に期待。

前向きになれない今の自分は、きっと頑張る未来の自分に期待して丸投げして横たわる(笑)。

いつもの10倍の時間をかけて書くブログ。

これも記念だと思って書いてみた。

 

私の絶賛体験中の病気のお話し。

 

うん。きっと大丈夫!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

命日


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7月14日。

2年前の今日、従姉妹が交通事故で

昨年の今日、姉が大腸癌で一足先に空に里帰りしました。

 

そしてその約2ヶ月後に、母の左乳房がなくなり、何だか失うものばかりだなと呆然としたのも束の間、母親に認知症という病が追加されることになるわけです。

 

認知症

失うのに増える病。

長年培ってきたスキルや記憶を失い、生活の中に他者のお世話が追加される。

このシステムを世間では介護と呼ぶのです。

 

訳あってシングルマザーをやっている私は、息子と暮らしながら仕事にあけくれる日々でした。朝とか夜とか休日とかの概念がないくらいの数年間。

 

そんな私、たくさん見落としてきたあれこれがあったことでしょう。

姉を看取りたいという気持ちで、24時間365日体制の訪問看護ステーションの管理者から、精神科の訪問看護ステーションの管理者へ転職しました。

 

姉の家族と一緒に、姉を看取ることが出来た後、次は母の介護の為、息子と暮らした住み慣れた家から、母の住む実家に引越し新生活スタート。

と同時に管理者を降ろさせてもらい、生活のウエイトを家族へ移動。

 

さあこれからという時に、今までのあれこれがどっと押し寄せ…体調崩す私(笑)

 

あーこれはきっと、お先に里帰りした姉と従姉妹が「少しは休まんねー」と言ってくれているんだと、自分を許す暗示をかけ続ける私(笑)

 

必要最低限の事を振り絞ってやる以外は、横たわっております。

そして覇気のない、何も出来ない自分の脳内に、大好きな怒髪天の「ドンマイビート」を自動再生エンドレスリピートしております。

 

人の人生というものは、得ると同時に何かを失い、失うと同時に何かを背負うものです。

でも、それは非常にバランスの取れたものなのではないかと思います。

 

失い背負う事を儚むことなく犠牲と捉えず、得て尚、許されている自分を見失わなければ。

 

3歳上の姉とはとても仲良しでした。

3歳下の弟が私を助けてくれます。

今年16歳になった息子は私を支えてくれる存在です。

私の事を本当に理解してくれている友や大切な人がいます。

まだ生後数ヶ月のにゃんず(先月お迎えした兄妹猫2匹(笑))は私の体調に応じて、何故かずっと寄り添ってくれます。

 

今日7月14日。

2人の大切な人の命日。

生かされている事、愛されている事、横たわっていても私が今日も生きている事への感謝。

噛み締めて感謝して、きっと愛する人達を幸せにしようと心に決め振り返る日。

 

そんな今日のこの時間を幸せと呼ぼうか。

というお話し。

 

うん。大丈夫。